投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:41
投稿者名:蟻様
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ゲイは身をたすく? 
ゲイは身をたすく? 投稿者:蟻様 投稿日:2002/11/27(Wed) 17:31 No.586
やまき君、蟻様は今日は、風邪で高血圧をこじらせて頭ががんがんしているので、今部屋で休んでいます。こうして自室にこもる時間があると決まってインターネットで英語のラジオを聞いています。今回はそのラジオからのネタを一つ。

先日インターネットでデンバーのラジオ放送局を聞いていたら、ハリウッドでちょっと名の知られているという触れ込みのジャーナリストがインタビューを受けていました。彼は、『私はゲイでジャーナリストなんです』という言葉をすべての発言の頭につけていたので、なんじゃこいつは、ゲイを売り物にしている、最低、などと思いつつもしばらく聞いていました。彼の話は実にたあいもなく、「女性は負け犬が大好き」ということでした。

ま、まったく「ないよう」としか言えないような無内容なもので、ここに紹介するのもためらわれますが、要するに、「ゲイ」を売り物に女性たちに安心感を抱かせ、やがて性的関係をもってしまうということを繰り返しているうちに、世の女は、自分のようなゲイで世間的には負け犬のような人間に惹かれる。自分がこの12ヶ月の間にこれだけの多くの女性と関係を持ったことがその証拠である、云々というものでした。

ゲイであるということが、すなわち負け犬であるのか、それとも、ジャーナリストとしての彼が負け犬であるのか、ま、もうひとつ良くわからなかったのですが、なんにしても、多くのラジオのトークショー同様、この番組も聴取者参加番組であり、一通りこの「牛の○んこ」のごときインタービューがすむと司会者は、聞いている人に電話をするようにと招きました。

すると、案の上、怒れる女性たちからの抗議の電話が殺到しました。自分はルーザーなんて好きじゃない。女は勝ち組の男が好きだ。というものから、自分もゲイ(女性)だが、女が負け犬が好きだなんて思わないし、何よりもそんな女性と関係を持てる程度のゲイ度で自分をゲイと名乗っているのはいんちきじゃないか、とか、あんたのようにゲイを売り物にしている奴は我慢できんというゲイ(男)まで、実にショウムなく久々に笑える番組でした。

この番組を聞きながら思い出した人物が2名います。

一人は私のアメリカ留学時代の最初のルームメート君。頭もよく、実に優しく、親切な男で、ダンスもとても上手。歯のブレースをとればなかなかのグッド・ルッキング・ガイだった。ある晩、黒澤明の羅生門を学生会館の映画館で見た後、真夜中2時過ぎまでアーダコーダと話し合っていた時に、突如彼が差し出した本を見てビックリ。そこには「ゲイも神に救われる」とはっきりと書いてあったのです。

助平と言う言葉はもう死語なのだろうか?とにかく、私は根っからのスケベ人間であり、およそ男の体には ま・つ・た・く 興味はござんせんですので、その夜以来、彼が寝息を立てた後でなければ部屋に帰らず、また、彼が目覚める前にはベッドから抜け出すという生活が始まりました。それで、毎日平均で3時間の睡眠時間で生活するはめになりましたが、勉強のむっちゃはかどること。あの年私が、これ以上はありえない好成績を出せたのは、実に彼の告白のおかげで部屋に帰れず、やむなく図書館や、寮の自習室で時間を過ごしたためでありましたが、その後も彼は私の嗜好(志向?)をちゃんとわきまえ、ごく普通の、いや普通以上に素晴らしいルームメートとして私に接してくれました。ですから、私の彼に対する気持ちは尊敬以外ありません。

しかし、まがりなりにも信仰者として生きている今、彼が本当に救われるのか、と考えることが時々あります。

性的志向が同性に向いているというだけで、救いに与かることが出来なくなるのか?
性的志向はぐっと飲み込んで異性と結婚関係を「順調」に続けている限りセーフなのか?だとすると、行い が問題なのか?

20年ほど前にひょんなことから知り合いになったフィリピン女性は実に敬虔なクリスチャンでしたが売春を生業としていました。(誤解のないように言いますが、私は客として知り合ったのではありません。)彼女は、自分は絶対に救われると信じていました。

はたして彼らは救われるのだろうか?あるいは救われないのだろうか?
いや、そういう難しい問題としていうよりも、私たちは、そういう人々を教会という非常に親密な結びつきを持つ共同体の中に受容することが出来るのだろうか?

以前、知り合いのフランス人のカトリック女性をアッセンブリーの教会に連れて行ったことがあります。とたまたまその週は聖餐式がもたれました。私は当然彼女も聖餐に与かるだろうと一緒に前に出ようとうながしましたが、彼女は、「これは『彼らの』聖餐だから」と出ようとしません。最後は、私と一緒に聖餐に与かったのですが、生身の人間の共同体としての教会の意味について考えさせられた出来事として印象に残っています。

いつか私の最初のルームメート君を是非中央チャペルに連れてきたいと思います。その時、皆さんが、心の底からともに主にある兄弟として彼をうけいれてくれればうれしいという思いをもちながら、ラジオ放送に触発されて感じるままに書いてみました。ま、内容がないようだからレスはつかないかな?ひょっとしたら削除されるかな?
ま、それもいいさ。長文でごめんなさい。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:43
投稿者名:芳言
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Re: ゲイは身をたすく? 
Re: ゲイは身をたすく? 芳言 - 2002/11/28(Thu) 21:48 No.588


 蟻様ー。お風邪の方はだいじょうぶですか??レスはつかないかな??と心配のご様子ですが、いやいや、もうだいじょうぶですぞ!イングリッシュに関してはkoto師がレスされておられますし。もう安心。
 ココでは、あまりクリスチャンらしくない者(すなわち芳言)がレスすることに多少の不安は持たれるでしょうが、まあ、ご指導くださり、不適切な文面は削除下され。フィリピンの売春婦に関しては、モーパッサンの『脂肪の塊』という短編を思い出しました。売春婦は「春をひさぐ女性」、「自らの体を生業とする女性」という意味合いでしょうか。「一番古い職業」とも言われていますし、聖書にも良く登場する「職業」ですね。基督教国たるオランダやドイツでは公娼制度(売春を国家が認知し認めている)が存続していたように記憶しているのですが、どうだったでしょう?今後の展開で、触れることもあるでしょうし、是非を巡っては、一家言おられるかたも多いでしょうからレスしてみてくださいな。特に、女性の視点というのは興味がありますな。また、『脂肪の塊』を読まれた方(特に仏文専攻・卒業の方)がおられたらレス下され。まあ、こんな「低俗な」本を読まれる方は教会にはいないか(藁)。
 で、問題は「ゲイ」という言葉に関して、です。これは、以前、芳言by評言を書く際に教示頂いたのですが、もう一度、お伺いしたい。それは「ゲイ」とはいかなる方々を指すのか?ということです。作文作成にあたり、随分お教え頂いたのですが、いわゆる「おかま・おなべ」、「ホモ(セクシャル)、レズ(ビアン)、バイセクシャル」、「性同一性障害」などの言葉はしっているものの、どうもごっちゃの部分がある。例えば♪大阪京橋はよいとこだっせーのリリアン(しらんやろなー)、モロッコで性転換手術を受けたというカルーセル麻紀(漢字あってるかしらん?)、おすぎとピーコといったおそらく「ゲイ」と思われる方がテレビ・ラジオでよく見られますが、本当はどうなんだろう?。以前「ココはヘンだよ日本人」に「ゲイ」で出られていた方の話・訴えはすごく説得力があったことを記憶しているのですが、やはり身近にいないだけにどうも良く分からない。また、レス下されば、と思うのですが、いかがでしょう??


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:44
投稿者名:蟻様
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Re^2: ゲイは身をたすく? 

Re: ゲイは身をたすく? 蟻様 - 2002/11/29(Fri) 11:33 No.590


芳言さん、お見舞い感謝。もう最悪です。風邪のつもりで医者に行ったら、高血圧の診断で、今すぐ薬をどうこうという段階じゃないというご診断。もらった薬は葛根湯とトンプク。一生懸命飲んでも、朝は相変わらず7度5分の熱と頭痛がする。これはてっきり誤診だん。(うっ、この状態でもなお親父ギャグから抜け出せない自分が呪わしい)とにかくまた病院に行って、まったく症状が変わらないから何とかしてと頼んだら、お医者さんいわく。「どんな薬がほしいですか?」
ポ     カ      ン
一瞬私の脳みそが溶けていくかと思いました。
気を取り直して
「どんな薬がいいんでしょうか。」
すると医者は、
「どうしてほしいですか」
私はぐうっと飲み込んで、平静を装い、真摯なまなざしで医者を見つめながら
「直してほしいんです」
「ま、熱があるということはどこかに炎症があるということですから、炎症をとめるきつめの薬と、痛み止めを出しておきましょう。お大事に」

高血圧って発熱するんでしょうか?

それはともかく、私は今頭が回っていないので、もとい、頭がクルクル回っているので、ご質問への答えは、夕刻、しっかりと薬を飲んで、床に入って落ち着いてからさせていただきます。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:45
投稿者名:蟻様
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Re^3: ゲイは身をたすく? 
Re: ゲイは身をたすく? 蟻様 - 2002/11/29(Fri) 18:33 No.591


今晩は。やっと休める。と思ったんですが、宿題がありました。片付けてしまえ。

ゲイってほんと、なんなんでしょう。自分でふっておいてこんな言い方は無責任かもしれませんが、実際調べれば調べるほど難しい。もし、私と同じ混乱を味わいたいという方は、一度このURLをのぞいてみてください。
htt://www.age.jp/~umetodo/What's-ts1.html
ま、難しい話は割愛して簡単に言ってしまえば、自分で自分をゲイと呼んでいるこのジャーナリストや、彼への抗議の電話をかけてきたレズビアン達のように、自分は「男」(あるいは女)という自覚(性自認)をもっていながら同性を性的に志向する人たちをゲイというのがこのラジオ番組に登場したゲイの当人たちの、そして一般的な使い方ではないでしょうか。

ただ、この「性自認」というところにややこしい部分があって、たとえば、最近ニュースになった競艇選手のように、本人の自覚は完全に男であって、生まれた時の肉体の性別に強烈な違和感を持っていて、ついには自分の本当の性に戻りたいと、性転換手術を受けてしまうような場合(普通ここまでの極端な違和感を抱いている人々をトランスジェンダーというようです。また一般に「性同一性障害」と呼ばれるのもこういう人たちのようです)、この競艇選手がもし女性に対する性志向を持っているとすれば、それはそれなりに異性愛なのかなとも思えるのですが、上記のサイトの情報によれば、せっかく男の体になりながら、男の人を好きになるケースもあるようで、そうなるとそれは、本人の意識の中では確実に「ゲイ」ということになるのでしょうが、世間の目からすれば多分それは「異性愛」の範疇に入れられてしまうのではないかとおもいます。でもきっとそれは本人からすれば、いや、違う、私は男なのだから同性愛と呼んでくれ、ということになるのでしょうね。

さらにややこやしくなるのは、肉体は男でありながら、性自認は女で、この上ない違和感に苦しみながらも手術を受けるまでにはいたらなかった人が、女の人を好きになってしまった場合、本人の意識の中では完全に「ゲイ」(レズビアン)であるにも拘らず、世間的にはまったく問題ない異性愛者として受容されるだろうと思われます。でも、きっと、そうして受容されているということには、それなりの安堵感を持ちながらも、本人の中では相変わらず、性自認と肉体的性別との異なり故の違和感からくる精神的苦痛にもだえているだろうことは容易に想像つきますね。

芳言さん、今回はこんなところで許してくだされ。ちょこっと寝ます。おやすみなさい。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:46
投稿者名:洛外住子
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Re^4: ゲイは身をたすく? 
Re: ゲイは身をたすく? 洛外住子 - 2002/11/29(Fri) 19:02 No.592


皆さまこんにちはー。最近興味深い話題が続いてますね。

蟻様さま
なんだか大変な状況ですね。体調もお医者さんとのやりとりも…。大丈夫でしょうか。ゆっくり休んでくださいね。早く良くなりますように。

で、本題ですが。
何年も前に読んだ遠藤周作のエッセイに、こんなものがありました。
ある時、遠藤氏たち数名がヨーロッパ(フランスだったかな?)に行った時のこと。街角で売春婦に声をかけられ誘われたけど、もちろんみんな相手にしなかった。その日の夜、みんなで教会のミサに行ったところ、ある同行者が遠藤氏に目くばせをした。そちらを見ると、なんと街で出会ったあの売春婦が、敬虔な姿勢で祈りをささげている。「これが西洋のカトリックだな。」という彼の言葉に、遠藤氏たちはうなずいた。

しっかり覚えてないんですが(すみません)、だいたいこんな内容で、すごく印象に残っています。「これが西洋のカトリックだな。」の意味するところは、うまくは説明できませんが、なんとなくニュアンスは伝わってきます。
売春婦の彼女自身はもちろん、まわりの信徒の人たちも教会も、彼女は救われている、クリスチャンだと思っていることでしょう。それでいいんだと思います。(信徒や教会が、彼女の職業を知っていてるかどうかは、わかりませんが。)

日本だったらどうなんでしょうね? 彼女をクリスチャンとして受け入れられない人もいるでしょう。受け入れていても、「そのような職業から解放されてこそ、神様を信じている“証がたつ”」 って感覚の人もいるんじゃないでしょうか。

>はたして彼らは救われるのだろうか?あるいは救われないのだろうか?
>いや、そういう難しい問題としていうよりも、私たちは、そういう人々を教会という非常に親密な結びつきを持つ共同体の>中に受容することが出来るのだろうか?

そもそも、救いっていうのは、神様と本人との間の問題ですよね。まわりの人が、「彼女は救われるのか?」ってとやかく言うべきことじゃないし、信じた本人も救いに疑問をもつ必要はないと思いますねえ。
蟻様さまが指摘されているように“教会という非常に親密な結びつきを持つ共同体の中に受容することが出来るかどうか?”、こっちのほうが、救いについてよりも、賛否両論わかれる問題でしょうね。

えっ、私だったらどうするか、ですか? 「彼女もクリスチャンなんだー」と思って、教会でふつーにつきあうでしょうね。 ただそれだけ。
その人と自分は気が合うか、気が合わなさ過ぎて逆におもしろいか、話をしていておもしろいか、とか。彼女が売春婦かどうかっていうことより、そういうことのほうが気になるなあ。

ゲイについては、芳言さんと同じく、どういう人たちかよくわかってないので、コメントできませんが。(と思っていたら、蟻様さまの書き込みが…。しっかり読ませていただきます。)どんな人でも、つきあう基準は、さっき書いた通りですね。

ではまたー。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:47
投稿者名:芳言
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Re^5: ゲイは身をたすく? 
Re: ゲイは身をたすく? 芳言 - 2002/11/29(Fri) 21:40 No.593


了解しました。ゲイに関しては、うーんそうだなあ、例えば教会にきはって、カミングアウトできる雰囲気かどうか、が第一の問題でしょうっかね。もっとも、これはゲイの方だけでは無いんでしょうけれど。あと、洛外さんにかんしては、社会学かなんかでゲマインシャフト・ゲゼルシャフトという共同体に関する単語をおそわったような、教わらなかったような...。まあ、ゆっくりおやすみあれ!


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:49
投稿者名:オブザーバ
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Re: ゲイは身をたすく? 
ゲイについての話題 投稿者:オブザーバ 投稿日:2002/12/01(Sun) 01:09 No.598
ゲイについての話題がこのようなキリスト教会の掲示板で見られるとは驚きです。
伝統的なキリスト教会ではゲイは門前払いですからね。

「ゲイの人々を受け入れる」というのは非常に人道主義的な響きがあるため、学校教育でも同性愛への偏見なくすということを取り入れようとする動きがあるくらいです。
しかし反面、人類の継続性、子孫繁栄という観点からはとんでもないことになるわけでイスラム教でも仏教でも同性愛を公認している宗教はないはずです。
実は「ゲイの人々を受け入れる」というのはそれほど単純なことではなく、同性の結婚を認めるということも含んでしまうのですよ。
もしも、あなたの息子、娘が同性から結婚を申し込まれたとしたら親のあなたは簡単にOKするでしょうか?

よく言われる「ゲイに対する偏見」というのは何も根拠のない偏見ではなくて人類存亡の危機にも至るような理由があるのです。
単なる同情からくる人道主義はかえって危険だと思いますが。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:50
投稿者名:蟻様
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Re: ゲイは身をたすく? 
オブザーバさんへ 投稿者:蟻様 投稿日:2002/12/01(Sun) 06:56 No.599
オブザーバさん、書き込み感謝します。
う〜〜〜ん、「単なる同情」ですか。大分私の中にあるものとは異なりますね。このことに関してはまたあらためていつかかくこともあるかもしれませんが、礼拝前の今は控えさせていただきます。

オブザーバさんはクリスチャンですか?おそらく違いますね???もしそうだったらお許しくださいね。あなたが私の立場を、数少ない書き込みをの中からの判断で、「単なる同情」に基づく「人道主義」と断定されたように、私もこの書き込みの中に示されたオブさんから判断せざるを得ません。でもオブさんの書き込みからは、パウロの『定められた時は迫っています。今からは妻のある人はない人のように、、、」(2コリ7:29)が響いてまいりません。

 それはともかく、今日は聖日。クリスチャンであれば当然ですが、そうでなくとも是非、主のことに心を遣って過ごしましょう。礼拝後に体調がゆるせば、あらためてオブさんとお話させていただきます。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:52
投稿者名:芳言
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Re^2: ゲイは身をたすく? 
Re: オブザーバさんへ 芳言 - 2002/12/01(Sun) 20:23 No.600


「伝統的な教会」では、ゲイは門前払いかー。「すべての方に福音を」
という言葉が虚ろにひびきますな...。それはともかく、伝統とは、「伝えるすべ」のことで、「統べ」は定まっているものでなく、変化してもおかしくないものであります。ですから、時代に従い、何らかの変化や、それを起こす議論を避けるという姿勢を指す言葉でないと言えます。「伝統」という言葉よりも「旧態依然」ないしは「保守」という言葉の方が適切では??オブザーバーさんがおっしゃる教会って、単に現実に目を背け、議論を恐れ、門前払いすることで、伝統を守るという言葉にしがみついているだけでしょうな。まさしく、現実社会と「乖離した世界」になっていくかもしれませんね。当時、不治の病と恐れられていた結核とかを恐れずに、貧民窟で伝道したのは、賀川豊彦でしたっけ?彼もやはり同情だけで人道主義のみで「なし続けられたのでしょうかね?」。
 おっと、「ゲイ」の話からそれましたな。でもまあ、蟻様も体調を崩しておられるし、オブザーバーさんもいきなり「ゲイとの結婚」とか、唐突な問いかけを引き合いに出されているし。議論はいったんおいといてこのへんで...。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:53
投稿者名:芳言
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Re^3: ゲイは身をたすく? 
Re: オブザーバさんへ 芳言 - 2002/12/01(Sun) 20:34 No.601


追加...このへんで、とは、蟻様いわくの「改めて」ということでする。ただ、「すべての人」のすべてって、いったいどこまでなんでしょ?すべてのひとにキリストの福音を伝える基地たる、教会、しかもその中の「伝統的教会」ってどんな所なんでしょ??(オブザーバー氏は)簡単に使われてるけど、僕にはよく分かりませんねー。
イザヤ牧師先生、伝統的な教会って、なにか標準があるんでしょうか?世界各地で差があって当たり前なんでしょうか。日本における「伝統的な教会」とアメリカにおける「伝統的な教会」って、違うものなんでしょうか?あと、日本における「伝統的な教会」って、具体的にはどういったところを指すのでしょうか?蟻様には申し訳なくって「ゲイ」の話からそれますが、あかなんだら、ご指摘下されば幸いです。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:54
投稿者名:オブザーバ
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Re^4: ゲイは身をたすく? 
Re: オブザーバさんへ オブザーバ - 2002/12/02(Mon) 01:57 No.602


蟻様さん、芳言さん 早速のレスに感謝いたします。

蟻様さんへ
この話題について、私の表現が舌足らずだったために、どうもお互い誤解があるようなので説明を追加します。
私はプロテスタントのクリスチャンです。
保守的クリスチャンといってもよいでしょう。
まず、確認させて頂きたいのは蟻様さんが述べておられる「教会がゲイの人々を受け入れる」というのはどういう意味で言われているのでしょうか?
私の考え方は、以下のようなものです。
・同性愛者が必要以上に断罪されるべきではなく、人権は認められるべき。
・基本的には同性愛は神から離れた罪の行為であり、罪からの解放を願う。

このような考え方に基づいて「教会がゲイの人々を受け入れる」というのであれば、私も賛成です。
しかし、現代の教会では日本キリスト教団にも性転換牧師やレスビアンの伝道者などが現れたり、一部のリベラルな教会では同性の結婚を認めたりする動きもあります。
私はこのようなことには断固反対の立場であり、そういう意味で保守的クリスチャンです。

芳言さんへ
「伝統的な教会」を否定的に捉えておられるようですが、強い聖書信仰に立っている教会は同性愛を否定する聖句に基づいて解釈しているのは何ら不思議ではありません。
ご存知のように聖書には同性愛を否定する箇所は何箇所もあります。(士師記、レビ記、ローマ書などに記述)
特にゲイムーブメントなどが盛んになり彼らが攻勢に出る場面も見られる昨今は教会側も益々、ゲイの人々への警戒を強めざるを得ないようです。
ただ、なかなか彼らを受け入れるプログラムを持ていないというのは伝統的な教会の問題点であるとは思いますが。
それから、戦前の大伝道家である賀川豊彦先生の貧民窟伝道をゲイの問題と同一視するのいくら何でもおかしいでしょう。
御国の賀川豊彦先生も困惑されていると思いますよ。

「伝統的なキリスト教会ではゲイは門前払い」というのは現状を述べただけで、それをよいこととは思っていません。

キリスト教会ではゲイの問題は永年タブーであったため、かなり難しい問題です。
つまり、受け入れには牧師にもそれなりの覚悟とプログラムが要求されると思います。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:55
投稿者名:牧師
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オブザーバさんへ
Re: オブザーバさんへ 牧師 - 2002/12/02(Mon) 02:00 No.603


藤林イザヤです。
なかなか内容のある話題になっていることを嬉しく思っています。
ともあれ、後19日後に論文の締め切りが迫っている小生としては、最低限の書き込みでご容赦頂きたいと願います。また、提出後は、ゆっくりと論じたいこともあります。

芳言氏が問いを出しておられることに限定してお答えしましょう。
「伝統的な教会」というのは、基本的に制度的にも、機構的にも或る程度の年数を経て確立した教会なら、大抵用いることが出来る用語です。

但し、オブザーバ氏が用いておられるような「伝統的な教会」は、「ゲイを門前払いする」伝統がある教会ということになりますので、これは基本的には「福音主義的な信仰に立ち、熱狂性を持った教会」を指していると考えて良いでしょう。日本で言うなら、日本福音同盟に加盟しているような諸団体、諸教会、また基本的には、クラシカル・ペンテコステの流れにある教会は、そうだと考えて良いでしょう。

逆に言うなら、「伝統的な教会」ではあっても、神学的にリベラルで、福音主義には立つものの、そう伝道に対して積極的ではない教会もかなりあり、同じ「伝統的」という言葉でも、指しているイメージには、かなり広がりがあると言えます。

このような分類は、アメリカだろうが、日本だろうが、変わりません。

それと、ペンテコステ・カリスマ運動の系譜には、面白いことに、リベラルと呼ばれる人々から、福音主義に熱心さを持ったところ、引いては、カトリック教会と東方正教会(元々はギリシャ正教会で、伝わった場所の名称を取るようになるので、ロシアなら、ロシア正教会、日本では日本ハリストス正教会となる)まで、非常に幅広い人々が存在します。そして、この流れは、世界的なエキュメニカル運動(教会一致運動)の展開と相まって、力を増しているものになってきました。ですから、ペンテコステ・カリスマ運動も100年を経過して、次第に「伝統的な教会」の一つになっていっているとは、言えるでしょう。

まあ、取り急ぎで、失礼します。

但し、一つだけ、オブザーバ氏のご指摘の中で、重要なことは、ゲイやレズという同性を好む傾向には、人類の滅亡というものが見え隠れすると言う点です。これは聖書の方向性と軌を一にしている部分があるのです。つまり、結婚式の時に、式辞として読む言葉がありますが、そこには、神が人類の幸福と繁栄のために定められた、という下りがあるのは上記のような危機を意識したものだということは申し添えましょう。

そういう意味では、割合に聖書的な背景をお持ちの方のようにも思いますが、まあ、そんなことはどうでも宜しいでしょう。

それと、蟻様の姿勢というのは、単なる「人道的なもの」とは思われません。かなり、教会という場所の雰囲気などを熟知し、その厳しさも感じ取りながらコメントなさっていると思われます。その点は、オブザーバ様もしっかり受け取って頂きたいと思いました。

では、また。祝福を祈りつつ。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:56
投稿者名:牧師
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Re: オブザーバさんへ
Re: オブザーバさんへ 牧師 - 2002/12/02(Mon) 02:21 No.604


凄いタイミングでしたね。
小生が送った直前に、オブザーバ氏も送信しておられたとは。
これは主の御霊の導きと言いましょう。

さて、芳言氏はもう一つ尋ねておられましたね。
「すべての人」とは、いったいどのような範囲なのか?と。

これはとても良い質問です。
詳細に答える時間は無いので、かいつまんで申しましょう。

神はその独り子を賜うほどに、この世を愛された。それは御子を信じる者が、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。ヨハネ3.16

これは聖書の中でももっとも有名な御言の一つです。
さて、ここで、神は何を愛されたかが重要です。それは「世」です。決して「罪無き人々だけ」を愛されたのではありません。

「世」には悪党もいるでしょう。どうしようもない、罪人、ザイニンもいるでしょう。しかし、それを含めて神は「すべての人」を愛されました。これのことが、神が人を愛するということにおいて、看過してはならないことです。

すると、神は罪人を愛したので、御子を下し、救いの道を開かれたということになるでしょう。
すると、その人がどんな人であれ、神が愛するとお決めになっている人を拒む理由は、キリスト教会には存在しません。だから、教会には、「すべての人」が招かれています。

京都中央チャペルは、基本的にこの流れで考える教会です。もちろん、この教会の生い立ちは、クラシカル・ペンテコステですから、どちらかというと、極右的保守的キリスト者の流れにありました。ですので、オブザーバ氏のような考え方は、よく理解できる者です。

しかし、今京都中央チャペルという教会は、上記のようなスタンスから脱皮して、教会の「伝統」によって判断するのではなく、より直接的に「聖書の御言」から導き出したもので判断することに拘っています。その意味で、「脱伝統的教会」として、京都中央チャペルは存在しているとも言えましょう。

ですから、ゲイの話題も大歓ゲイ。

レズの話も、恐レズに取り上げます。

イスラエルの報復テロの是非についても、放っテロ、という投げやりな姿勢には陥りたくありません。

北朝鮮に関する話題にもチョウセンします。

これらは、現代のキリスト教が直面している現実です。現実から逃げたなら、浮世離れした信仰に陥ることもあるでしょう。できるだけ、「正解」という答えを出す呪縛から解放されて、「ある解」を一つ一つ、丁寧に出していくことを続けたいと願っています。このことについては、11/24分のエクレシアをご覧下さると幸いです。

では、また。祝福を祈りつつ。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:57
投稿者名:蟻様
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Re^2: オブザーバさんへ
Re: オブザーバさんへ 蟻様 - 2002/12/02(Mon) 07:41 No.605


ぬあんと、論文締め切り直前の牧師まで飛び出してきてしまったか、、、。

私は、最低血圧110以上、最高血圧180以上と休みになってますます悪くなるようで、一体どこまで上るのかと、新鮮な驚きをもってみています。案外、これってスリリングで楽しいですね。なんていってられないので、今日は朝一番に病院に行って薬を出してもらおうと思っています。

というわけであまり込み入った議論はしばらく出来そうもないのですが、一点だけオブさんにお尋ねしたいのです。

オブさんは、ゲイの受け入れには「プログラム」が必要だとおっしゃいますが、そのプログラムはどんな内容になるのでしょうか?ムショ帰り(殺人犯を含む)を教会に受け入れるためには特別なプログラムが必要だというような議論はあまり聞きませんので、教会的観点からすると、ゲイというのはよほど特殊な人々ということになるのでしょうか?そのあたりもう少し説明いただけるとありがたいです。

とはいっても、最初に申し上げたような体調ですので、せっかくお答えいただいてもしばらく顔を出せない可能性もあります。その場合は、平に御容赦くださいませ。


投稿時間:2002/12/03(Tue) 10:58
投稿者名:芳言
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Re^3: オブザーバさんへ
Re: オブザーバさんへ 芳言 - 2002/12/02(Mon) 22:54 No.608


イザヤ師へ。早速のレス、感謝します。修論、追い込みがんばってくださいね!
蟻様。だいじょうぶ??ですかー。無理しないで!
サーバント様。拙い者にレス下さり、光栄です。確かに、賀川豊彦氏の例は、唐突でしたな。まあ、適切なお言葉、感謝しております。私自身は、おそらく、考え方は保守的で、ゲイ問題に関しては、サーバント氏に近い考えを持っているとは、思います。ただ、神学にせよ、ゲイ論??にせよ、一信徒の自分には分からないことが多い。自分の判断基準、見た目、行動様式、自分の好き嫌い、おすぎとピーコは見るのはいいけど、ほんまにきょうかいにきたらどうしょ??と思ってる段階で、主の福音なるものに対し彼ら(彼女ら)を「門前払い」していいものかどうかはわからない。分からないから、それなりに、学習なり議論なり質問(間抜けなものも含む)なりをぶつけることが必要な気がするわけです。ですから、たかが、100人もいない教会の掲示板で「ゲイ」に関する議論(ゲイだけじゃないんだけど...)がなされていることが珍しい常態で、いいんだろうか??と思ってしまうわけです。ゲイにとどまらず、更に枠を広げて、性に関すること、売春・買春に関すること、家族・少子高齢化社会など、活発な論議がなされていていいのではないか??否、なされているんでしょうが、キリスト教界(福音派にせよ、ペンテ・カリスマにせよ)全体のムーブメントとしてどうも見えて来ない(事実と異なれば、御教示下さい)。
本来ならば「伝統的な」教会が新しい「伝統」を作り上げ、リードして行くのが理想と僕自身は考えているのですが、多くの教会が「伝統」の上にあぐらをかいて、「新しいものを生み出せていない」状況のような気がするわけです。ところで、私は、伝統的な教会を決して否定していないし、伝統なり、培われてきた歴史・背景は当然重んじなければ、と思っております(ですから、伝統という言葉に対し、敏感に反応してしまった訳です)。ただ、伝統に「安住する」姿勢でいいのか、単に年限をかさねるだけでいいのか?という疑問はあるわけです。
 それはさておき、私がしらんまに仕切っている様でいささか気が引けるのですが、蟻様や、イザヤ師がBBSに関われにくい状況にある今は、「ゲイ問題」がおいときたいのですがいかがでしょう?ただ、これまでの流れで、オブザーバー氏の言うように、タブー視してきた結果、教会界が受け入れる体制が無いのなら、むしろ現状維持、「門前払い」の方が「波風立たぬ状況」で無難かもしれませんな。
ところで、間抜けな引き合い困惑「賀川豊彦氏」ついでに。賀川豊彦没後、彼同様にカーネギーホールで講演をなしえた基督教者って日本では現れているのでしょうか??おお、、又間抜けな質問をしてしまいました。
 


投稿時間:2002/12/06(Fri) 18:19
投稿者名:蟻様
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芳言さんへ
> 蟻様。だいじょうぶ??ですかー。無理しないで!

御心配いただき感謝です。おかげさまでだいぶ落ち着いてきました。
塩分が、NaClが敵なのだそうです。しかし、今回病院で血液をずいぶんとられ、色々調べてもらって、「異常なし」のお墨付きをいただいたので、お酒も「適量」いただくことにいたしました。

さて、

>  それはさておき、私がしらんまに仕切っている様でいささか気が引けるのですが、蟻様や、イザヤ師がBBSに関われにくい状況にある今は、「ゲイ問題」がおいときたいのですがいかがでしょう?ただ、これまでの流れで、オブザーバー氏の言うように、タブー視してきた結果、教会界が受け入れる体制が無いのなら、むしろ現状維持、「門前払い」の方が「波風立たぬ状況」で無難かもしれませんな。

仕切りは大いに仕切ってください。

ただ、私は、出来れば、「門前払い」はなしにしていただきたいと思うのです。きちんとその人の話を聞いてほしいのです。教会に来て一番不思議に思うのは、案外平気で、人間にレッテルを貼り付けて、だから駄目なんだと切り捨てられることがあることです。なんで、もっと個人を見ようとしないのか、と不思議でなりません。同性愛は罪だ、だからゲイは駄目だ。とするならば、私も肉の檻に閉じ込められた一介の罪人ですから、駄目なんです。

ま、こんな難しい話は一介の信徒である私にはとうていこなしきれない議論ではありますが、、、。

とりあえず、今日は復活の第一声ということで、週明けにまた、落ち着いてこの掲示板に向かい合いたいと思います。


投稿時間:2002/12/06(Fri) 20:32
投稿者名:芳言
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Re: 芳言さんへ
「門前払い」は確かにいかん。話を聞く。これは、確かにそうですね。ただ、オブザーバーさんの論調から推測するに、受け手側の体制が(どんなものか知りませんし、あってどうなるものでもないと思うのですが、マニュアルなり、対応方法なりが)整っていない段階で、「門前払い」はやむを得ないと思ったのです。
これは、議論の再開に伴い書き込むべき事柄でしょうが、「信徒と牧師・伝道師」の「対応方法」に違いは生じるのはやむを得ないし、信徒間でも温度差があって当然、と思っているのですが、いかがでしょう??洛外さんのように売春婦に対してふつうに接すると言い切れる方もおられるし。ただ、牧師レベルで「門前払い」がなされるとすれば、まさしく「波風立たぬ状況」を志向されてるのかなあ、と思ったりもするわけです。なんか、まとまってませんね。初めて書き込むので、緊張してるみたい(藁)。


投稿時間:2002/12/08(Sun) 00:46
投稿者名:蟻様
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Re^2: 芳言さんへ
> 「門前払い」は確かにいかん。話を聞く。これは、確かにそうですね。ただ、オブザーバーさんの論調から推測するに、受け手側の体制が(どんなものか知りませんし、あってどうなるものでもないと思うのですが、マニュアルなり、対応方法なりが)整っていない段階で、「門前払い」はやむを得ないと思ったのです。

確かにそうですね。
> これは、議論の再開に伴い書き込むべき事柄でしょうが、「信徒と牧師・伝道師」の「対応方法」に違いは生じるのはやむを得ないし、信徒間でも温度差があって当然、と思っているのですが、いかがでしょう??

これもそうだと思います。

いずれにしても、まず聞くことが必要だと思います。だれか証をしてくれる人が現われるといいのですが。それまでは、この話題はおいておきましょうか。


投稿時間:2002/12/08(Sun) 00:39
投稿者名:蟻様
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Re^5: ゲイは身をたすく? 

> 蟻様さんへ
> この話題について、私の表現が舌足らずだったために、どうもお互い誤解があるようなので説明を追加します。
> 私はプロテスタントのクリスチャンです。
> 保守的クリスチャンといってもよいでしょう。
> まず、確認させて頂きたいのは蟻様さんが述べておられる「教会がゲイの人々を受け入れる」というのはどういう意味で言われているのでしょうか?
> 私の考え方は、以下のようなものです。
> ・同性愛者が必要以上に断罪されるべきではなく、人権は認められるべき。
> ・基本的には同性愛は神から離れた罪の行為であり、罪からの解放を願う。
>
> このような考え方に基づいて「教会がゲイの人々を受け入れる」というのであれば、私も賛成です。
> しかし、現代の教会では日本キリスト教団にも性転換牧師やレスビアンの伝道者などが現れたり、一部のリベラルな教会では同性の結婚を認めたりする動きもあります。
> 私はこのようなことには断固反対の立場であり、そういう意味で保守的クリスチャンです。

私は正直よくわかりません。
私は同性愛者ではありません。青年期に、ちょうど私自身が裸の女性を目にした時にきっと見つめているであろうような眼差しで、私の裸体を「なめる」ように見られた経験があるため、正直、同性愛者の視線には「生理的」嫌悪感を覚える者です。しかし、最初に述べたかつてのルームメート君や、職場で出会った複数のゲイの人々との付き合いの中で教えられたことは、彼らの中には、自分の選択によらないゲイもいるということです。ふと気づいた時には、自分は男の体の中に閉じ込められた「女」だった。どうやらそれは、牛肉にアレルギーを持つ人と同じくらい、あるいは私の肌の色や髪の色と同じくらい先天的なものであるようにも思われるのです。仮に、そういう人々の性自認が幼少期の環境の故に獲得されたものであったとしても、それが彼ら自身のアイデンティティのもっとも基幹の部分にしっかりと組み込まれている様は、私が自分を日本人であると、誇りと、そして同程度の呪いの気持ちをもって自覚していることととても似ているような気がしています。
 結局、オブザーバさんのポイントは、行為としての同性愛を神から離れた罪の行為と見るところにあるように思いますが、私には、よくわかりません。パウロを引用したあたりからもお分かりと思いますが、私は、性行為そのものが聖霊との交わりにはある意味邪魔なことだという感覚を持っていますので、教義としてはともかく、実践においては、同性愛も異性愛も同じようなものではないのか、、、、というには、同性愛を知りませんのでなんとも言えませんが。
 なんにしても、行いとしての同性愛を認めよという主張をするつもりは毛頭ありません。同性愛者として大きな括弧にくくられている人々であっても、主の愛の中に安住の地を見出したというのであれば、そういう人々とともに祈りの生活に入ることに何の問題もなかろうというのが私の考えです。
 
> キリスト教会ではゲイの問題は永年タブーであったため、かなり難しい問題です。
> つまり、受け入れには牧師にもそれなりの覚悟とプログラムが要求されると思います。

この最後の言葉の意味を、じっくりと噛みしめています。確かに、牧師にはすごい覚悟が必要なんでしょう。そして神の証し人の群れとしての教会にも同じ程度の覚悟が必要なのだろうと思います。ちょうど私たちの信仰が、神の言葉に耳を傾けるところから始まったように、教会も、新たな証人の言葉に耳を傾けるところから始めるしかないのだと思います。

今こうして書き込みをしながら気づいたことは、私は、やはり、グレーゾーンの性自認(男とも女ともつかない性自認)をどこかで裁いてしまっているということです。が、時間も時間ですので、今日はこのあたりで。またしてもまとまらない文ですみません。


投稿時間:2002/12/08(Sun) 20:58
投稿者名:芳言
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Re^6: ゲイは身をたすく? 
蟻様のレス、拝見しました。聖句なり、信条なり、神学的な言葉が思い浮かべばいいんでしょうが、あいにく無学な者で、申し訳ないです。
 で、ゲイの話題に関して、蟻様のレスを読んで考えたこと。それは、個人レベルでの話と、体制−つまり教会レベルでの体制とに区分して話を進める必要があるかなあ、と言うことです。つまり、受け手の信徒側と牧師とかは、区分けして考える必要があるのではないか、ということです。もし、蟻様が我が教会にゲイの方をつれてこられたとする。とすれば、私は、たぶん、「事前に」分かっていることだし、蟻様の友人と言うこともあり、良い意味でも、悪い意味でも「どきどき」しながら、お話をし、誘われたら、礼拝後、マクド(マック、マクドナルド、マクダナル)なんかで食事をしたりするかもしれません。しかし、(「教会での門前払い」が当たり前で、改善されたとはいえ、ゲイのカミングアウトが難しい社会情勢であり得ないこととはおもうのですが)例えば、億が一、ゲイとされる方がふらりと来られた場合、どうするだろうか?これは、卑怯な言い方になるかもしれませんし、「基督教徒か??」という反応を恐れずに書くなれば、おそらく、まずは、避けるだろうな、ということです。つまり、蟻様がつれてこられる場合と、そうでない場合とでは、対応なり、態度に差が出てしまうことは、間違いないでしょうね。これは、ある意味「当たり前」かもしれませんが...。ただ、教会という組織という観点から見れば、どうなんだろう?この問題って、その歴史は分からないのだけれど、ここ二・三年の問題では無いですよね?十年以上も問題なりテーマとして上がっているように思えます。とするならば、覚悟なりプログラム(まあ、日本におけるプロテスタント内での統一企画なんて成立しないだろうけど)は、準備されていても不思議ではないという気はするのですが。性同一性症候が認知され、「ゲイ」の存在が認知されつつある社会情勢で、混乱を恐れるあまり、対話なり、議論なりがオフィシャルになされず、単に門前払い・タブーしている状況では、あまりに時代遅れでないか??また、外界との区別・黙認につながるとも思ったりします。


投稿時間:2002/12/09(Mon) 22:18
投稿者名:蟻様
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何で避けるんだろう?
芳言さん、率直に聞きますが、ゲイを避けたいという気持ちはなんで起こるんでしょうか?もち、芳言さんの場やいは、という意味ですよ。
 私も正直、ものすごくひいてしまうところがあります。私の場やいは、自分がその欲望の対象にされることへの恐怖が一番だという気がしています。
 で、思うんでやんすが、以前、イザヤ先生が、欲情を抱いて女を見たら阿寒というが、実はそれは人の嫁はあかんのであって、未婚の女だったら構わんというようなことを説教の中で言ってはったんやけど(先生間違ってたらごめんなさい。訂正してください)、それとどこか通じるところがあるんとちゃうかいなと。
 つまり、人妻は、売りもんやないさかい、そういう目で見たら阿寒。
 未婚の女は、売りもんやさかい、値踏みするような目で見てもかまわんと。
 でも、ちょこっと考えれば、(んなもん、考えんかってもおんなじやけど)それってむっちゃ、未婚の女を馬鹿にしてるところがあるんちゃうか?つまり、自分がそういう目で見られて初めて気づくんだけど(ま、そんなもんですわ、私の想像力は)、露骨に性欲の対象としてだけ見られるって事は、見られてる側に応じてもいいよんという気がまるでない場合、むちゃくちゃこっちの人間性を認めない、ひっつれいな行為なんだと。
 いや、言いたいんは、仮に、ある男の人が、キリストを信じてると言ったとすれば、相手が既婚だろうが、未婚だろうが、美人の姉妹にいきなり抱きつくような真似はもちろん、いきなりギラギラの欲望むき出しに女性を見るようなことはせーへんやろう、ぐらいの期待はするんちゃうかと。とすれば、ゲイの人の場合でも、のっけからワシらをそんな目で見るようなことはせーへんやろうと思うのです。
 また、自分をクリスチャンというような人やったら、私はあなたの伴侶と成るつもりはまるでありまへんと告げられれば、どんなに好きであろうと、かなわぬ恋と、すごすごと引き下がる程度の自制心はあるやろうと期待も持つと思うんです。
 であるとすれば、その人の志向がホモ(同性)であろうと、ヘテロ(異性)であろうと、とりあえず、一緒に祈るくらいのことは出来るやろうと頭の中の私は思っているのでありますが、この夏、イギリスのある教会で、50年配のおっさんが、それ以外は完全に男のなりをしているのに、指先を見たら10本とも全部真っ赤なマニキュアがきれいにしてあるのを見たとたん、やっぱ腰が引けてしまいました。
 でも、大きく深呼吸の後、勇気を奮って話し掛けてみたら、普通の会話が出来る。その人が果たしてゲイだったのかどうかは、聞きもしなかったのでわかりませんが、ある意味、指にマニキュアをするくらいは、私が白髪染めをするのと同じようなものという気もしますし、茶髪の牧師もいる現在、女装をする男性がいたって、さほど不気味な現象ではないのかもしれないとも思う。
 いや、何が言いたいんかといえば、ようわからんのですが、私の場合は、その人が女として、男の私を見てるのかもしれんと言う場やいは、案外落ち着いてお話できるのでありまするが、その人が男のまなざしで、女としての私を見つめているのだと思ったとすれば、それはぜ・つ・た・い・に許せないという私がおりまする。
 つまり、私の場やい、ゲイへの恐怖は、自分が商品化されるというか、人格を持った人間としてではなく、単なる性欲の対象として見られることへの恐怖といえるような気がしています。
 でも、その視線というのは、実は、もっとぎらついていた頃の私が、美しい女の人を見るたびごとに投げかけていたに違いない視線と同じだと思うのです。
 で、思うのでありますが、私は少なくとも、実行行為としては痴漢ではありませんが、心の中では、100%痴漢であったし、今も本当にすばらしい女性を見れば「である」。とすれば、少なくとも私には、心の中で男に対して痴漢的視線を投げかける男を、それをもって非難することはでけへんのではないか。
 おー、またまたグルグル回り始めた。いや頭の中も論理も。え?論理なんてはじめからない?すんません。
 いや、芳言さん、いつものすばらしい感受性と想像力で、私の言いたいところを推し量っていただいて、芳言さんの場やいは何故?を書いてみてはいただけませんか?


投稿時間:2002/12/10(Tue) 21:40
投稿者名:芳言
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Re: 何で避けるんだろう?
> 芳言さん、率直に聞きますが、ゲイを避けたいという気持ちはなんで起こるんでしょうか?もち、芳言さんの場やいは、という意味ですよ。
早速のレス、ありがとうございます。削除されましたNO.21、どんな内容だったか気になるんですけれど、まあ、案内か、程度の低い書き込みだったんでしょうね。このスタイルになって間なしなのに、すでにこの動き!予想以上に注目されているのかもしれませんね。
僕の感性に関しては、天の御国におられます賀川豊彦氏を引き合いに出し、オブザーバー氏おしかりを受けるくらいだから、あてにはなりませんな。まあ、論旨なり方向があさってに向きそうならばコントロール下さい。
 で、僕の場やい。これが書くのが難しい!というのも、ゲイの方に限ったことでなくって、教会に初めてこられた方に関しても、自分としてはあまり関わらない様に心がけている部分がどこかにあったりするんです。もっとも、牧師・伝道師、つれてこられた方(但し、自分とまあ、親しい方)に声かけられて紹介されたり、あと、会話を交わしてみて、慣れればそうでもないんだけれど、初対面の方に対して、どこかひいた所があるというか...。随分乱暴な書き方になってしまいましたが、クリスチャンだから、基督教徒だからといって、すべての者がフレンドリーな訳ではない、ということです。
 笑顔で新来者の方と握手する。うーん、礼拝中に「周囲の方と握手・挨拶しましょう」、との呼びかけ・勧めでさえすぐ座ってしまう自分にとっては、これは難しい...。こういう自分だからこそ、ゲイの方ならなおさらのような気がするのです。あと、もう一つ。ゲイバーに行ったりしたことはなくって、テレビで見ている範囲でなんだけど、やっぱり「惹かれる」部分があったりする。つまり、本能的に危機回避、みたいなのが働くというか、何というか。なめられるような視線−性欲の対象として見られることへの恐怖と、そこに引き込まれるかもしれない危うさを持っている自分に気がついているからかもしれません。もっとも、蟻様のような経験をしていないだけに、何とも言えませんが...。
 ちょっと、舌足らず(?)で誤解・曲解をまねくかもしれませんが、そんなところですかねえ。そうそう、あと、決定的なこと。やはり「他人の目が気になる」。教会は、神の家、といっても、やはりいろいろなバックボーンなり考えを持つ方の集合体であることは否めません(断定的な書き方になっていますね。異論のある方は、どしどし書き込んでくだされ)。ですから、握手した数秒後にはすでに旧知の仲になれる方もおられれば、そうでも無い方もいる。僕のように特定個人の方とのつきあいで十分、といった「ふとどき者」もいるし、さっさと帰られる方もいる。当然、ゲイに対して信徒レベルで「拒否」される方も多かろう。とすれば、どうなんだろう??勝手に決めつけてる部分もあるかもしれませんが、「同一視」されるのを避けたいという思いが働くでしょうね。ただ、これはあくまで、「ふらりと来られた場やい」に関して、ですよ。蟻様が礼拝後にでも声をかけ、紹介くださる場やいは違う反応をするということは、念のため申し添えます。ついでに書くと、教会に来られることに対し、何らこだわりはないし、祈りの質とか、礼拝を捧げる、ということに関しては、特に「いいのでは?」と考えていますけど。まあ、書いてて、問題発言を結構しているのは、気付いてますが。いかがでしょう??あと、女性に対しエッチな視線を送ってしまう。男性である以上、やむをえんかもしれん...
これを読んで、異論のある方はどうぞ書き込んでくだされ。お待ちしております(但し、あおりとか、匿名・ハンドルネームを隠れ蓑にした暴言・暴論は避けてね)。


投稿時間:2002/12/10(Tue) 21:45
投稿者名:芳言
Eメール:
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タイトル:
発言内の訂正−削除されたのはNO22と23
すいません。削除されましたのはNO.22・23、でした。
書き違い訂正します。