投稿時間:2003/08/23(Sat) 17:37
投稿者名:Mog Ur
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Bill Wilson
Bill Wilsonという人の聖会に参加して感じたことをかきます。
@初日午前中、日本における教会学校の権威(?)のような感じの人が話していました。多くの教会が、誰でもが担当できるようにと、教会学校の担当者をどんどん入れ替えていくけど、それでは人材が育たないというあたりはなるほどとうなづきながらきいていましたが、しかしそのお話が、ご自分のやっておられるセミナーを数回にわたって継続的に受講しない限り一人前の教会学校指導者には育たないのだという議論にすりかえられていくのをきいて正直がっかり。
 昔でいえば師範学校、最近であれば教育大学や、ま、大学がが良い教師を作っているのかと言えば、そんなことあるわけないよ。教師が良い教師になるとすれば、それは教育現場で鍛えられるからのこと。様々な困難に直面しながら自分で解決策を見つけようと苦しむ中でよい教師は生まれてくるんだ。
 この先生のお話を聞いて思い出だしたんは、「オレは東大生なのに何故もてないんだ」と真剣に悩んでいた昔の教え子。
 あほ臭いので、この問題はここまで
Aビル・ウイルソンのお話
 正直感動しました。
 この人のお話は、めちゃくちゃ具体的で、もうほんまにようわかるのです。ハリーポッターの最新作でドロレス・ジェーン・アンブリッジ先生が使った黒い羽根ペンのように、毎回たった一つの明確なメッセージが繰り返し繰り返し私の胸に刻み付けられていきます。
 一つだけここに引用すると、
 ニワトリと豚が街を歩いていると、とても飢えに苦しむ一人の人に出会いました。その人の苦境を救うためにニワトリが豚に提案しました。この人にハム・エッグを食べさせてやろうよ。。。。
 
 ニワトリは、何個も産む卵を一つ提供すればすむのですが、豚は自分の命を差し出さない限りハムを与えることはできません。ニワトリのは「貢献」で豚のは「献身」だと言うのです。

 だからほとんどの人は、ただの貢献でお茶を濁しているのだが、私達の歩みの中で、そういう貢献ではどうにもならない瞬間に出くわすことがある。その時にあなたは献身できるか

イエスが、その手の、わき腹の傷を示し、さぁ触れなさい、その手を私の傷の中に入れなさい、と迫ってきた体験を持つ人であれば、できるし、そうせざるを得なくなる。まさに

キリストの愛が私たちに迫っている(2コリ5:14)
Christ's love constrains us.
constrain=どうしようもなく突き動かす
     これ以上動けないように制止する
     その場に縛り付ける



これまでにいくつもの聖会に出てきましたが、これほど明確に自分が歩もうとしている道を、それでよいと確認してくれ、もっと先へと大きく歩を進めさせてくれた聖会はありませんでした。

B通訳者の苦労
 万代先生は大変すばらしいお仕事をしておられましたが、そのお姿を見ているうちに、この次は是非我らがイザヤ先生の通訳する姿が見られるなと思っていました。やってください。


投稿時間:2003/08/26(Tue) 20:49
投稿者名:芳言
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Re: Bill Wilson
8/24付けMSで牧師がかかれてることは、初日午前中で語られたことなんでせうか?あと、「教会成長研修所」って、いかなる団体なんだ??


投稿時間:2003/08/29(Fri) 04:09
投稿者名:Mog Ur
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Re^2: Bill Wilson
> 8/24付けMSで牧師がかかれてることは、初日午前中で語られたことなんでせうか?あと、「教会成長研修所」って、いかなる団体なんだ??

私は仕事の段取りを取ってから出席したので、私のコメントは2番手の講師さんについてのものでした。何とかゴンベー先生という方でした。ひょっとして誤解させていたらごめんなさい。

教会成長研修所 で検索したらHPが出てきました。
山形にある団体のようですよ。


投稿時間:2003/08/29(Fri) 17:58
投稿者名:牧師
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Re^3: Bill Wilson
牧師です。

教会成長研修所というのは、元々はアメリカの福音派の中で始まったものです。フラー神学校などが母体の一つになっていると思います。

で、要するに教会がメガ化、巨大化していく時には、基本的には同じ原理原則が動くということを発見し、明確にシステム的な学びに体系化したということです。

もちろん、これで或る程度のまとまりある教会形成には至りますので、それなりに意義があることは間違いありません。

だが、次の時代を切り開くような、ブレークスルーは生まれないでしょう。

何故か。

過去の成功体験に寄りかかった内容だからです。

柳の下には二匹目のドジョウはいません。今度は港にでもいかないといけないのですね。

つまりは、失敗体験を潰しながら、始めて成功へ至ることを、見落としている点が、食いたりなさを覚えると言ったら、言い過ぎかな?

ということで、夏期聖会の講師はその研修を受けられて、今はそれで頭が一杯になっているということなのですね。

ちょっとは、おわかり頂けましたかな?

以上です。


投稿時間:2003/08/29(Fri) 21:32
投稿者名:芳言
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Re^4: Bill Wilson
なるほど、よーく分かりました。牧師が書かれたように、確かに、システム的な学びの範疇に囚われすぎると、遊びがきかなくなる。マニュアル化しすぎることによってその内容以外のことにまで手が出されなくなってしまう。「ブレークスルーは生まれないでしょう。」という牧師の言葉は首肯できますな。
僕自身は、失礼かもしれませんが、団体名から「うさんくささ」を感じてしまいました。教会成長って、研修で生まれ出されるものなんでしょうか?研究できるものなの??と、今の日本の基督教の情勢みて、思ってしまいます。成長、といっても色々ある。牧師の家族のみで礼拝を持っていったのが、信徒が一人二人増えるのも、千人礼拝が恒常化するに至るのも成長だし。
爆発的な人数増加などの現象もあれば、安定成長もある。頭数では見えない成長−例えば質的な成長もあれば、教会行事の充実だって、「成長」という言葉で表しうる。団体名が指す成長って、いったい何なんだ?まさか、オールラウンド、トータル的な成長って、あり得る訳がないし、そんなのは理想論に過ぎないのは言うまでもない。教会の現況にもよるだろうし。
 「成長」。言い換えるなら、将来的なイメージが湧いていて、そのイメージが牧師だけでなくって、僕のような一信徒にまで伝わっている、このことが結構重要な気がするのですが、どうなんでしょうか。
 ところで教育学で人間の「成長」って、習ったような気がするのは気のせいか...


投稿時間:2003/08/30(Sat) 06:36
投稿者名:Mog Ur
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Re^5: Bill Wilson
ビル・ウイルソンのすごかったのは、実際に私の目にイエスの傷を見せ、私の手をその傷の中に入れてしまったこと。おどろおどろしくえぐいその傷を見、手を触れてしまった者にどんな選択肢があるのだろう?「牧会」というのは、キリストから信徒を預かることではなく、キリストとして自分の傷の内に信徒を抱きすくめることではないのか?自分に委ねられた数多の命、その一つ一つにキリストの傷が見える、だからその傷に手を伸ばし、その中に手を入れる。。。のでなければ、幼稚園の先生ごっこをしている幼児か、よくってもただのベビーシッターでしかない。ベビーシッターであれば、確かにマニュアルが必要だろう。所詮、年端もいかぬ子供のことだから、いざとなったら携帯で保護者を呼びなさいときつく言っておかねば、下手をすれば子供を大変危険な目に合わせるかもしれない。
 でもベビーシッター牧師はいったい何番に電話するんだろうね?0120−13-1059(いざ、テン・五・九)だろうか?


投稿時間:2003/08/30(Sat) 10:14
投稿者名:牧師
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Re^6: Bill Wilson
牧師です。

実は、小生が申し上げたようなことは、ビル師自身が語っていることなのですね。よく考えてみれば。

彼の書物の題名を想起すれば良いですね。

『この子、誰の子?』です。

そして彼は言います。「わたしの子です。」

牧師は親である神の代権者であることは間違いないでしょう。
その時に、キリストに成り代わり、いやキリストとして「わたしの子」という自覚を持って生きることができるか。

これが問われているのだと思います。

小生の牧会の基本は、子育て、です。

子どもが成長する。これを関わらせて頂きながら、見守る。共に自分も成長する。「我が子」感覚無しには出来ない働きだと痛感しています。

願わくば、教会成長研修所の教え如何によらず、一人一人の牧師が、私の子、私の羊という自覚に立って、歩んで頂きたいと念願しています。


投稿時間:2003/08/31(Sun) 20:06
投稿者名:芳言
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Re^7: Bill Wilson
確かに、立てられている牧師の皆様が、「私の子、私の羊という自覚」を持つち牧会していくのなら、後退・退行でも、停滞でもなく成長するのかもしれませんね。師の書き込みを見て、随分と以前に聞いた聖書の話−100匹の内、失われた一匹の羊を探し回った羊飼いの話を想起しましたよ。Bill Wilsonの聖会に参加された方々の今後との働きに期待します。


投稿時間:2003/09/01(Mon) 07:31
投稿者名:Mog Ur
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Re^8: Bill Wilson
ビル・ウイルソンのような人が、仮に、もし、「裁かない、裁かれない」と言ったとしたら、すごいインパクトをもって受け取られることだろうと思います。でも彼はきっとそんな言葉は口にすることはないだろうと思います。講演を聴く限り、彼はずっと「裁かれ」てきたみたいだけれど、彼の心の中に浮かんでくる思いは、「彼らにはわからないのか」というもの。ヨーダの言葉に、「やるかさもなければやらないかのどちらかだ。「やってみる」なんてないんだ(Do or do not. There's no "try."」というのがありますが、自分の目の前に必要が見えた時、何かをするか、何もしないかのどちらかしかない。しっかり噛み締めて歩いていきたいと思っています。