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サン・アントニオにて


インターナショナル・バイブル・カレッジという大学がある。サン・アントニオの町を見下ろす丘の上に、ちんまりと建っている。その外見は、サウスダコタの片田舎で見かけるようなごく小規模の高校のそれである。駐車場にとまる通学バスの側面や建物の壁面に「Impossibilities Become Challenges(不可能な事が挑戦となる)」というモットーと並んで「International Bible College」と書かれてなければ、大学とは気づかぬような小ささである。

 その狭いキャンパスの中央に立ち、ぐるりを見まわした時、世界の中心に立っているような錯覚に陥った。建物の間から、サンアントニオの町ばかりか、はるか彼方の地平線まで見渡せるのである。そうやって見まわす目に「Faith(信仰)」という名の通り名が飛び込んできた。おそらくは、付近が住宅地として開発される前にカレッジが建てられたのだろう、そしてひょっとしたら通りをはさんだ向こう側の家並は、大学の職員寮かもしれないなどと考えながら歩いていたら、寮とおぼしき建物から出てきた2人のかわゆい女子学生が「こんにちわ」と声をかけてきた

 「何かお困りですか」と尋ねてくれる。「いや、日本にたくさんの宣教師を送り出した聖書学校を一目見ておこうと思っただけです。この学校はブラザー・クートが創設したんですよね?」と答えると二人の目が輝いた。
 
「ええ、そうです。あなたは日本からきたのですか。」
 「はい、私達の教会の創設に功労のあった宣教師を訪ねてこの町にきたんですが、彼もこの学校の出身なんですよ。」
 「え?誰ですか、私達も知ってる人かもしれない。」
 「いや、昔の人だから、多分ご存知ないでしょう、ブラザー・クロード・トムプソンというんですが。」
 「ブラザー・トムプソン。よく知ってます。同じ教会の会員ですから。それはようこそ。遠いところをよくおいでくださいました。」
 「この学校は、かつてたくさんの宣教師を送り出したようですね。」
 「今でも私達はとても海外伝道に力をいれてるんですよ。」

IBCは日本にもある。生駒聖書学院がそうだ。私の母教会津島福音教会の牧師渡辺先生も、先日ペンテコステ聖霊運動百年祭でベニーヒンに代わってすばらしい説教をされたカリスチャペルの村上先生もこの生駒聖書学院の出身である。
 生駒のIBCもこちらのIBCもともにクート師の創設になるもの、そうきいた私はてっきりアメリカの方が兄貴なんだろうと思っていた。しかし、トムプソン師によれば、生駒の方が先なのだそうだ。

 歴史的には、生駒の方が先にあった。しかし日本が戦争に突入していき、敵性国人の居場所がなくなるにつれて、クート先生は日本を離れアメリカはサンアントニオに移住し、そしてこの丘陵地に国際聖書学院を開設したということらしい。

 この国際聖書学院から日本に訪れた宣教師は、かなりの数にのぼるという。それというのも、戦前、戦中、そして戦後の数年間ここサンアントニオの聖書学院校長をしていたクーツ師が、しきりに「諸君、日本が君達を必要としている。日本に行け。」と繰り返し説教をし、日本宣教こそが皆の負うべき重荷なのだという雰囲気を作りだしていたからだとトムソン師は語る。

 14才で聖霊のバプテスマを受けてからずっとアフリカ宣教の夢を持ちつづけていたトムソン師も、戦争後IBCに再入学したが、授業の中で熱く日本でのリバイバルを語り、黒板に平仮名片仮名を書くクーツ師の感化をうけ、日本に赴く決意を固めたのである。

そして今も、聖霊の強い導きを受け世界各地でのリバイバルを夢みる若者達がここIBCで学びつづけている。

 IBC創設者のレナード・クート師が同じサンアントニオに創設したエマニュエル・チャーチは、その後娘婿のジョン・ベル師、そしてクート師の孫にあたるデービッド・ベル師によりさらに発展を遂げ、今はデスティニー・チャーチと名をあらためているが、その教会の入り口には、今も現役で海外宣教に従事する20組を超える宣教師夫妻の写真が掲げられ、伝統はリバイバル、すなわち聖霊のはたらきにより守られるものだという単純な真理を証していた。