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ディスコといえば、音楽は切っても切れない物なのであろうが、先日、携帯の機種を変えた折り、随分懐かしい曲を耳にした。例によって備え付けの着メロを確認してみると、ABBAの「ダンシングクイーン」があったのだ。僕は、この曲を着信音へと登録した。 「ダンシングクイーン」という曲。小学校の低学年の頃であろうか、NHKの音楽番組で、ABBAが歌っていた記憶がある。その頃は、ディスコなんて行ったこともないからよく分からないが、まさしくこの曲にあわせて踊られた方もおられるかもしれない。その世代に属さない僕は、この曲の訳詞に興味を持ち、早速、蟻様翻訳サービス社に依頼した。訳詞は下記の通りであるが、意外と過激で露骨!な歌詞である。また、それ以上に驚いたのは、解説の内容であった。 曰く『クイーンには女装したトランスベスタイト(女装願望の男性または男装願望の女性)の意味』が「隠語の世界」ではあるそうだ。更に蟻様によれば、この曲は「ゲイソング」の側面も持っているとのこと。確かに、「あなたはダンシングクイーンなんだから、タンバリンのリズムを聞いて、ほら踊れるでしょう、ほらあの娘を見て、どうするのか覚えるのよ」という歌詞の流れには淫靡なものが感じ取れる。それが、リズムの良さや、英語の言葉の響きに耳が奪われてしまって、この曲の持つ側面の意味合いが読みとれないでいたことに私自身が気付かされたのである。 他の異なる性の容姿に変わりたいという思いを持つ原動力として、まず、性同一性障害というものが挙げられよう。テレビやインターネット、知人の話などを通じ、自分はゲイだとカムアウトした人々が共通して口にするのは『自分は気付いた時には自分の肉体的性別に違和感を抱いていた』ということである。そういう彼らからすると、『自分のあるがまま』とは、男の肉体の中に閉じ込められた女であったり、女の肉体に閉じ込められた男であったりするということらしい。なるほど、その精神的にもつ本来の性に合致する衣装をまとう、という行為は、確かに、必要なことかもしれないと思わされる。これは、臨床例であるが、競艇選手が精神的な性と肉体的な性とを合致する手術を受け、活躍されていることは周知の事実である。以下は、イザヤ師のBBS書き込みの一部であるが「基本的に、神が創造された時に、造られたものははなはだ良かったとあります。これが被造物の基本的な姿ですね。これが最高に喜び楽しみながら生きる世界が、キリストの下さる救いです。これをしっかりと受け止めることができるなら、不思議と自分のあるが儘をしっかりと愛することができますね。この基本的な位置づけは決して忘れないようにしたいと思います。」と書かれている。これは、性転換をした牧師に対する質問に対する回答の一部であるが、キリスト教の世界でも以前には想定されなかった事実が起こっているようである。聖書の範疇では解釈仕切れないことがあるのかどうかは、議論が分かれるところであろう。ただ、このような症例が起こりうるという事実を受け止め、認知し、「では、どう対応していくのか」という方向付けは最低でもしていく必要が生じているものと思われる。 もう一方は、単なる、変身願望を満たすための手段としての男装、女装が挙げられる。自分とは違うもの、何かになりたいという願い。女装・男装を含めて、こういった願いはおそらく誰しもが−もっとも、度合いが異なるにせよ−持っている感情の一つでは無かろうか?コスプレ−アニメのキャラクターなどの格好をしたりすること−、などに没頭すること等で、なにがしかの充足感を得られることは、否定しない。ストレスを感じる事柄が多いご時世だから、なおのことだろう(但し、それが行き過ぎて犯罪になってしまうのは、困ったことではあるが...)。変身願望を満たしてくれる手段はおそらく、限りは無いだろうし、需要のあるところに供給が生まれるのは必然であろう。併せて、化粧をし、衣装を身にまとうだけではなく、簡単に変身願望を満たせるツールを我々はすでに得ている。それはインターネットという世界であり、「芳言」という名を借り、この世界でおこなって自分がなしている事柄は、見方によっては、変身願望−普段やっている自分とは違うこと−を、満たしているといっても過言では無いような気がする。確かに、それはかつて持っていた変身願望−ウルトラマン、仮面ライダー、また、鋼鉄ジーグなどアニメのヒーローにあこがれていたし、ゴレンジャーごっこでは、青レンジャー役を目指す−といった類のものとは異なるであろう。けれど、普段の自分とは異なる何かに変身していることには何ら変わりない気がするのだ。しかしながら、「芳言」という名を語り、普段の自分から変身しているつもりが、自分を良く知る方の読んだ感想として多いものは「君らしい文だねー」というものである。まさしく、変身して書いているつもりが、本当の自分をさらけ出しているようなのだ。これは、判断は分かれるであろうが、BBSの書き込みなどに目を通すと、本当の名前をかえ、異なる自分を演出し、変身しているつもりが、実は本当の自分をさらけ出している方も多々見られるような気がしてくる。 とすれば、現在我々の周辺にある変身願望を満たしうるツール、道具を通じて、本質的な物の変化はあるのかどうか、という疑問が起こってくる。小手先で仮面をかぶっても変わりきれない「何か」があるはずだし、名前を変え、仮面を付け、衣装を変えているつもりが、自分の本質をさらけ出していることもまま、ありはしないか。文頭に「ダンスホール」について触れてみた。名前は変わる。看板は変えられる。流す曲は変わってゆく。服装も、集まる人間も、変化を遂げていく。けれど、その中でなされている行為は変わらない。つまり「踊りたい」という欲望を満たす場であることには変わりないのだ。
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