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アトランタという地名には一種独特な響きがある。この街を取り囲む鬱蒼たる森の深さときたら、東西南北から町に走りこんでいるインターステート(高速道路)を走っていると、果てしない緑の樹海の中でまったく方向感覚を失い激しいめまいを覚えるほどだ。時折見えるガソリンスタンドや車屋の人工的な照明さえなければ、200年ほど前にジョージア州政府がクリーク族というアメリカ先住民達から奪った時のままの姿だと容易に信じ込めるほどにその緑の上を原始の風が吹き抜けている。

 その原始の風が吹き込んでいるのは、南北戦争で徹底的に破壊し尽くされながら不死鳥のようにその灰燼の中から蘇ってきた近代的なビルの群れる街並み。未来的とすら言えるその超高層ビルのスカイラインから通りに目を落とす。すると再び不思議なめまいを覚える。

多くのアメリカの大都市ではダウンタウンの通りは碁盤の目のようで初めて歩く人でも概ね自分の行き先にたどり着けるものだが、ここのダウンタウンは、もつれたクモの巣のように曲がりくねっていたりしてなかなか目的地にたどり着けないのだ。やたらと多いピーチツリーやサークルやヒルという地名も哀れな旅行者をさらに混乱させる。

この混乱の仕上げは道行く人々の笑顔だ。混乱のきわみで道をたずねようと周囲を見回す私の眼に道行く人々の眼が微笑みかけてくるのだ。それは、シカゴとかニューヨークといった北部の大都会でのよそよそしい視線になじんでしまった旅行者には、あまりに意表をつくものであり、今自分は州都にいるのだという実感を失わせ、完全に方向感覚を失わせるものである。

未来的な高層ビルの只中を吹きぬける原始の森の風、高々200年の歴史でしかないのにまったく計画性を感じさせない曲がりくねった道、州都を埋める田舎町の笑顔。その笑顔は恐らくこの街の国内的なそして国際的な成功を達成してきた人々の心に、今も古き良き南部の心、サザンホスピタリティの風が吹き抜けていることを証しているのだろう。

あるいはこの街の象徴ともなっている不死鳥も、緑の樹海を吹きぬけ、この街の市民の心を温めるアトランタの風を糧としているのだろうか。

 そんなアトランタの風を題名の中に捕らえた一冊の本に出会った。

「アトランタの風が聴こえる」 という。著者は私達と同じ京都中央チャペルの姉妹であった。

 「アトランタの風」というだけでも私の好奇心は大いにかき立てられただろうに、この本は、その風が「聴こえる」というのだ。まるで祈りの中で主の御声をききのがすまいと一心に耳を傾ける人のように、「アトランタの風が聴こえる」という。

 どんな本なのかと手に入れて読んでみた。

 この姉妹に与えられた二人の子供は、たとえば警報機つきの踏み切りで立ち止まっているとして、赤く点滅する光は鮮明に見えるが、音はまったく聞こえない世界に生きている。高度に進歩した補聴器の助けを借りれば、何とか母音は聞きとれるが、子音の区別は難しく、「か」も「さ」も「た」もみな「あ」と聞こえる「高度難聴」という「特別な個性」をもって生まれてきた。その子達に潜む特別な才能をいかに開花させ、育てていくべきか。この姉妹の必死の祈りへの聖霊の応えが「アトランタの風」にのって聴こえてくる。

「学生時代に、教育とはドイツ語で『erziehen』つまり『抽き出す』という意味があることを学びました。詰め込むのではなく一人ひとりの道の才能をどう抽き出していくのかが教育のあるべき業であるということです。どんな子供にもその子だけにしかない個性と優れた才能が隠されています。セインツ(聖学院アトランタ校の略称)との出会いを通してこの『抽き出す』という言葉に、重荷ではなく希望を託す決心がつきました。<略>『抽き出す』希望の中、聴こえない二人だからこそ、言葉の壁を越えて世界中のどこへでも挑戦していけると、確信を持ちました。」(「アトランタの風が聴こえる」p.178-179より抜粋)

 一人でも多くの人々に「アトランタの風が聴こえる」ように祈る。

次回は、著者の矢部姉妹へのインタビュー第一弾、「京都の思い出」をお届けします。

『アトランタの風が聴こえる  兄妹が出会った愛と希望の共育』 矢部美子著 聖学院ゼネラル・サービス出版 「教育」から「共育」へ!新たな人間の輪がここから広がる。「GOOD!」 先ず認め、受け容れること。すべてがその一声から始まっていく人間関係の素晴らしさ。国境を越え、時代を越え、聴覚障害を越えて、優しく語りかけてくるアトランタの風は、私たちをめざすべき未来へと導いてくれる。と、脚本家、市川森一氏推薦。

アトランタの風が聴こえる その2