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12/01/17
『立派な信仰者』 青木保憲師
日時:2012年1月15日
主題:『立派な信仰者』
説教箇所:マタイによる福音書15章21節~19節
aティルス・シドン地方は、ユダヤ人たちから(異邦)の民であるというレッテルを貼られていた。イエスはその地方で生まれ育った女性から声をかけられたことになる。
bなぜこの女性にイエスがつらく当たったのか、諸説ある。
①彼女を試した、というもの。
②彼女の謙虚さをつまびらかにし、人々の納得を得て奇跡を行った、というもの。
しかしここは、もっと単純に考えたい。当初、イエスはユダヤの民を(救い)の対象としていたため、彼女に取り合わなかったのである。
cしかしこの婦人は、イエスの前に敢然と立ち続け、本来あり得ない(恵み)をしっかりと手にしている。彼女の何がこのような奇跡を呼び込んだのであろうか?
dマルコ福音書では、しつこく食い下がった婦人の熱意がイエスの心を動かしたことになっている。しかしマタイ福音書におけるイエスは、婦人に(信仰)があることを見抜いている。
◆メッセージ・ポイント◆
① (粘り強い)信仰者となろう。
イエスがどうしてこの婦人に冷たかったか?その答えは衝撃的である。それは彼の救いの範囲にこの女性が入っていなかったからである。しかし彼女の粘り強さは、本来開くはずのない扉を開けた。ここには二つの相反する認識がある。現実、彼女は異邦人であり、ユダヤ人の目から見るなら「子犬」として蔑まされる存在であったこと。これを彼女も認めているということ。しかしその一方で、そのような在り方を逆手にとってイエスに詰め寄ることにためらいを感じていないということである。あり得ないはずの恵みを頂くために、私たちも彼女の姿勢に習いたい。現状を的確に認識する。しかし私たちの未来を決定づけるのは、現状の延長線上ではなく、「こうしたい」という願い、祈りの中で育まれる未来の自己像である。これを認識し、粘り強い信仰者となろう。
②信仰者は神と(対峙)し、共に教会を建て上げることができる。
神と対峙することを厭わない信仰者、この姿勢は神に喜ばれ、恵みの扉を開くことになる。しかしそれは単に自分の欲望を満足させるだけではない。粘り強い信仰者は、神と共に教会を建て上げることができる。マルコでは単に「それほど言うなら」となっているが、マタイではこの粘り強さを「立派な信仰」と表現している。この姿勢はマタイに登場するペトロにも共通するものである。一見口先だけの男のように思われるが、しかし彼に対するイエスの評価は「私はこの岩の上に私の教会を建てる」となっている。粘り強く、神と対峙することを厭わない信仰者に対して、主は「教会を建てよう」と目指すべき方向性を見せてくれているのである。私たちは教会を建て上げる働きへと一歩進んで行こう。
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