教会案内板
ON THE WAY TO HEAVEN

京都中央チャペル 最重要聖句

     だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
     古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
Uコリント5:17)


京都中央チャペルの4大理念(2003年6月8日ペンテコステの日に更新)



A.多様性と統一性

 教会は人の集まりです。教会堂を「教会」と呼ぶことがありますが、会堂という器が教会そのものではありません。大事なことは、そこに人々が集って、神を崇めることです。

 このような教会を、新約聖書の原語のギリシャ語では「エクレシア」と呼んでいます。エクレアではありません。元の意味を辿るなら、「召しだされた者たちの集まり」という原義があります。

 さて、教会に集ってくる方たちは、どんな人たちでしょうか。一言で表現するならば、大変「ユニークな存在」だと言えましょう。「ユニーク」とは、「唯一無二」という意味です。つまり、この世界には、二つとない存在だということです。

 聖書は冒頭で、神が天地を創造し、人間を創られたと記しています。人間は神の作品、しかも世界にたった一つの傑作なのです。

 今、ちまたで「オンリー・ワン」を歌い上げている曲が、大ヒットしています。まさしく、神の前に立つ時、人は自分が「オンリー・ワン」であることをハッキリと自覚するのです。

 この意味で、教会は豊かな『多様性』に満ちています。二つとない個性が寄り集まっているからです。通常、このような集まりは収集がつかなくなることが多いのです。だから、右見て、左見て、飛び出さないように、でも、遅れないように、気を配りながら合わせていくのです。

 こんなことを繰り返していると、疲れます。そして個性を出すことをはばかり、できるだけ自分を出さないようにしながら、肩を寄せ合って生きてきた、これが日本人であったと言えましょう。ですから、国際化だ、個性を豊かに生きよ、と言われても、困ってしまうだけなのです。

 しかしながら、教会においてはちょっと事情が異なります。個々人が大変個性豊かに生きていながらも、まとまりをもった「統一性」が自ずと生まれてくるからです。それは信仰によって、同じお方を見上げていることから生じるのです。だから、遠慮なく個性を発揮することができる訳です。

 神の傑作である皆さん。伸びやかに生きましょう。最高にあなたらしく生きる道が、キリスト信仰の醍醐味です。それでいて、教会はまとまりを保ち、いや成熟させて行き、いよいよダイナミックに前進して行くのです。多様性と統一性のバランスは、まさしくキリストの教会の姿そのものなのです。



B.新しい人

 第2の理念は、「新しい人」です。

 ある意味で、京都中央チャペルはこの理念を追求し続けて、今日に至っていると言えましょう。

 新しい人とは、キリストを信じて洗礼を受け、一切の罪の呪縛から解放された人のことです。何ものにも束縛されない、神にある自由を満喫しながら生きることができます。

 表題の聖句は、まさしく新しい人の現実を物語っています。

 まず「誰でも」です。どんな人も例外はありません。信仰によって生きることを、すなおに始めるなら、誰にでも経験することができる恵みの世界です。

 「キリストの内にあるなら」ば、もうキリストの「外に」はいません。部屋の中にいながら、外にいる人は無いでしょう。同じです。キリストを信じて生き始めると、キリストの内に居続けます。新しい命に生き続けます。決していい加減なものではなく、決定的な違いを生み出すのです。

 「新しく造られたもの」です。「改造」と読まないで下さい。「創造」です。何にも無くても構いません。新しく創造されるからです。無から有を生じさせる神が、信じるお方です。この方が、キリストを通して、キリストにあやかる全ての人を、新しく創って下さるのです。

 「古いものは過ぎ去った」のです。今までの自分は、キリストにあやかって葬られました。あなたが墓を暴かない限り、古き人は甦ってくることはありません。

 但し、時々墓荒らしをする人がいます。これをキョンシー・キリスト者と呼んでいます。キョンシーになると、いつまで経っても、自分が変わっていないように感じます。いや、そう思い込んで行くのです。そして、結局神の創造の業を全く体験することなく、苦しみチャン(クリスチャン?!)を生きることになるのです。

 「全てが新しくなった」のです。かつての自分はどうであったか、時々忘れてしまいます。いや、ほとんど忘れ去って、新しく生きていることが、普通で、当然で、ずっとそのように生きてきたかのように思ってしまうほどです。楽しいですね。いや、もう夢中になって、生きることをエンジョイしてしまいます。

 キリスト信仰は、神の子として創造された人間を、本来の姿のままに生きるよう、道を示しています。

 誰でも、ですから、あなたも例外なく、この特権に与ることができます。

 一度しかない人生ですから、目一杯エンジョイしませんか。京都中央チャペルはあなたの教会です。あなたも新しい人として生きることができるよう、スタッフ一同誠心誠意お手伝いさせて戴きます。



C.愚直な祈り

 「愚直」とは、「バカ正直」という意味です。

 神の前に立つことは、「裸の自分」になることです。「あるがままの自分」を出すことだと言っても良いでしょう。神の子として創造されたのですから、何にも恥ずかしがる必要は無いのです。

 子どもは親のところにやってきて、欲しいものをねだります。遠慮はありません。もちろん、親でしたら、一般的にはちゃんと願いを叶えてやるでしょう。パンが欲しいというのに、蛇を出す親はいません。卵を欲しているのに、サソリを渡す親もいません。

 ならば、天のお父様ならいかばかりでしょうか。なおさら、良いものを下さるはずです。当然です。

 愚直に祈って良い根拠は、このお方が、信じて仰いでいる神様だからです。もし、祈っても祈っても、かなえて下さらないお方なら、バカ正直に祈るのは、まったくもって、ばからしいことになってしまうでしょう。

 しかし、聖書の物語る神は、良きお方です。私たちに、「何がして欲しいのか?」と尋ねて下さるのです。遠慮はいりません。思い切って求めて参りましょう。

 京都中央チャペルでは、ここ1年余り、毎週の礼拝の最後に、愚直な祈りシートを出して戴くことにしました。毎週毎週、性懲りもなく、出して戴いています。

 理由は簡単。毎週、具体的な必要や求めが変わるからです。生きているということは、このような変化を体験することに他なりません。先週は、まったく想像もしなかったような体験をするのです。新しい状況や事情が生じます。すると、当然ながら、求める内容は変わるでしょう。

 バカ正直に、ですから、率直に書いて戴くことにしました。既に約40名余りの方々が、大体コンスタントに提出しておられます。もちろん、ご自分で祈るから良いよ、とおっしゃる方もおられます。それはそれで素敵なことですから、良いでしょう。

 しかし、牧師に祈って下さいと、率直に出してこられる方々の祈りの課題を毎週受け止めながら、実感しました。一週間を「共に歩んでいる」実感です。場所が違い、環境が異なり、遭遇している出来事も違う。しかしながら、これらの方々とは、一週間「共に歩んでいる」のです。

 逐一、何をしているのか見ている訳ではありません。そんな望遠鏡がある訳ではありません。でも、一週間経って、日曜日に再会しますと、実に懐かしい思いを抱くのです。一週間戦って、ようやっと会えました。でも、毎日お会いしていたような感じですねと。

 今年度も愚直な祈りのシートを継続します。いや、もう一歩踏み込んで行きます。最後の時間に5〜7分程度、一斉に祈る時間を作り始めました。この時間に、祈りながら、聖霊がインスピレーションとして、頭にひらめかせて下さることを、記入して戴くことにしました。不思議です。ドンドンと夢が出てきます。ヴィジョンが具体化し、描き出されます。今週すべきことが、ハッキリします。

 これが愚直な祈りシートの、習熟した使用法だと気付きました。この先には、日々の愚直な祈りノートがあるということでしょう。でも、週間を見通した祈りが、もっとも重要だと言えます。礼拝の前の時間に、祈ります。礼拝の最中にドンドン主が示して下さいます。それを記入して歩み始めます。

 一週間後、返却されてきた時に、驚くことでしょう。主は、こんなことも、あんなことも、展開し、広げ、豊かに増やして下さった。ハレルヤ!と。

 そして、今週も新しい愚直な祈りを貫いていきたいと願います。



D.地を満たす

 最後の理念は、「地を満たす」です。京都中央チャペルの歩みにおいて、この言葉が実現することを念願しています。

 何で地を満たすのでしょうか。

 先ず、「祝福」で地を満たします。京都中央チャペルで信仰を持って生きているキリスト者を、一般に「中央チャペリタン」と呼んでいます。中央チャペリタンは、新しい人として伸びやかに生きながら、自分だけが楽しい人生を送っていて、満足するような存在ではありません。

 真の満足は、自己満足には無いことを知っています。誰かが喜ぶために生きる時、初めて真の満足を得るからです。先に「祝福」と申しました。単純に、平たく言うなら、中央チャペリタンがいるところに、笑顔が溢れてくるということです。周りの人たちが、生きることを楽しみ、喜ぶようになるのです。

 生きることは素晴らしいことです。まして、神の子という立場で、また新しい人として伸び伸びと生きることは、自分だけで留め置くことが申し訳ないような感動です。ですから、何とか伝えたくなります。二番目はこの良い知らせ、つまり「福音」で満たすのです。

 中央チャペリタンは雄々しく、強く生きながら、大胆に福音を語る人です。言葉で語り、笑顔で語り、行動で実際に示します。励ますことに臆しません。病気の方がおられたら、癒しを宣言して祈ることに躊躇しません。イエス・キリストのお名前によって、思い切って祈ります。そして、癒しを見たら……!!凄いでしょ!

 また、「夢と幻」で満たします。日本は今、夢も幻も枯渇したような時代です。いや、実はこれは世の常です。どんな時代も、枯れ果てている人が多いのです。瑞々しい夢を持ち、それに生きている実物が居るのです。中央チャペリタンはまさしくそのような人です。

 「終わりの日に、霊が注がれると、息子、娘は預言し、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見る。」

 最後が良いでしょう。超高齢化社会のモデルのような姿です。老人は夢を見るのです。白昼夢ではありません。実現する夢です。ボーっと眺めているのではありません。明るい希望に溢れた言葉で夢を語るのです。聖霊が注がれると、不思議なことが始まるのです。

 ああ、際限なくなって来ました。また、改めて記しましょう。
 今年はドンドンと恵みの世界を押し広げていく予定です。期待して参りましょう。

 こうして、京都中央チャペルは前進します。天の御国を目指して……、ハレルヤ!!

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