What a Wonderful World!
評言by芳言
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| Medicine Lakeの美しい自然の中で群れ遊ぶ仲間達の姿をじっと見守るビッグ・ホーン・シープのボス。写真提供蟻様翻訳サービス |
今、僕は自分自身に問いかけたい。緑の萌える木々を見て、赤い薔薇だけでなく野の花を見て、青い空を見て、虹を見て、そして、泣いている赤ん坊を見て、心から思えるだろうか、そう、「なんて素晴らしい世界なんだ」と−。
ある日の夜、運転中、ラジヲからこの歌が流れてきた。ある自動車メーカーが提供してくれているラジヲ番組。曲と、その歌われた時代背景、使われた映画(『グッド モーニング ベトナム』)を紹介するナレーターの男性の声。そして、太くって、男らしく低音だけど、どこかに優しさが見え隠れする歌声−。久々に聴いたその曲と歌声は疲れ切って帰路へとついていた僕の心に響いてきた。その声はルイ・アームストロング。彼の人生の終焉近くに歌われたこの曲の名は「what a wonderful world」。
この曲には個人的に思い出がある。一緒に行った野田勝利兄(当時)は伝道師でも神学生でも無く、ましてや人の親でもなかった。この曲とその歌声を聞いたときカラオケボックスで、「what
a wonderful song, this is!」と思ったことだった。
一体、この曲の魅力ってどこにあるんだろう。過去の記憶をよみがえらせながら聴いてみて、ふと、考えてみた。メロディーや旋律、歌声なんかも魅力的だ。ゆったりとしたリズム、太いけれど優しい歌声、バイオリンか、何か分からないけれど使われている楽器の音。確かにそれらは魅了するものを持っている。けれど、この曲が「いい」と素直に思ってしまうのは、僕にとっては「歌詞」だと思う。目に見える木々、薔薇、空−毎日目にするありきたりな風景だけれど、新鮮な感動を覚えているんだ。この歌詞はそのような気持ちをストレートに表現しているし、その感動が伝わってくる。
訳をしてくださった鷲ッシーは『「I see とか I hearなんかの感覚動詞は、「見える」というよりも、目の前に、そんな風景があるということだから、「あ、何とかだ!」って感じ」』とご教示下さった。上手くは書けないけれど、この歌詞の根底には単なる物体として目に映る風景を捉えるのではなく、自然−基督教徒的に言えば「神の創造」−に触れたときに感じる感情が表されており、曲と声とかの他の要素が合わさって、より魅力的な曲に感じさせてくれているのかもしれない。
と同時に、感動を忘れ、この曲の歌詞に「あこがれ」を抱いている自分を見つけだす。
あくせくし、時間に追われ、その日その日をなんとか終える自分。いらいらを押さえるためにタバコをくわえ、煙で落ち着きを取り戻そうとあせっている、そして、くたびれている姿。空も雲もゆとりを持って見ることもあまりできず、ましてや「素晴らしい世界」と気を張らずには言えない、言い切ることのできない我が身を振り返る時に感動とは程遠い「あきらめ」の境地に陥ってしまう。
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| 遠い異国で暮らす孫の成長ぶりに目を細める爺と婆。物理的距離もある。なにがしてやれるわけでもない。ただひたすら愛し、無事な成長を祈る。今、この赤ちゃんは23歳。爺は天国から孫の成長を、変わることのないまなざしで見つめつづけている。写真提供蟻様翻訳サービス | |
この曲の最後には「赤ん坊達が泣いている、大きくなれよ 君達はは私なんかよりはるかに物識りになるんだ」とある。これは子供達に対する期待から将来に対して「何と素晴らしい世界が待っているんだろう」、という思いが込められているといえよう。けれど、この歌詞の意味合いを自分なりに考えたとき、こう思ったのだ、「残念でした、アームストロングさん。あなたが思ってたような希望に満ちた世界は訪れませんでした」と。
おそらく希望に満ちた世界を見ると歌われた子供達−まさしく自分たちの世代−は成長し、新世紀−21世紀を迎えた。そして新世紀はテロと戦争とで幕を開けたことを知識の産物である衛星放送で知った。世界も日本も飽食と飢餓、欺瞞と暴力、本音と建て前に満ちあふれていることを、経験だけでなく、テレビやラジヲ、インターネットや出版物などいわゆる文明の利器やその産物によって知った。自分は無力だと諦め、流れに身をゆだね、何もしないことが「楽」だと知った。そして、そんなところでは「感動」も「希望」も削り取られてしまう事にも気がついた。本当に「物識り」になることがいいのか、良かったのか?と思ってしまうのだ。
この教会でも「泣いている赤ん坊」が多く居る。アバハウスの一階にはベビーベッドまで置いてある。泣いている赤ん坊、立って歩くことを覚えようとしている赤ん坊、走り回って叫び回っている赤ん坊か子供かもはや線引きの難しい存在も、この教会には(基督教流に言えば)「与えられている」。きっと彼らも物知りになるだろう。そう、否応なく、望むと望まないにかかわらず。
世代交代の波にもまれ、信仰が解体してしまった記憶、本当に苦い記憶を振り返って思う。「本当に教会に関わりを持ち、育つことがいいのだろうか。教会の中で物識りになることが望ましいことなんだろうか」。
けれど、そう思う反面こうも思う。
彼らが成長して教会に行くたびにこう思って欲しい「なんて素晴らしい世界なんだ」と。
だからこそ言い続ける必要があるのかもしれない、例えそうでなくても「なんて素晴らしい世界なんだ」と。
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I see trees of green, red roses too I see them bloom, for me and you And I think to myself, what a wonderful world
あ、木がとても青いよ、赤いバラも 咲いてるよ、僕と君のために そして思う、なんて素晴らしい世界なんだ
I see skies of blue and clouds of white The bright blessed day, the dark sacred night And I think to myself, what a wonderful world
輝く祝福された昼間、暗く聖なる夜 そして思う、なんて素晴らしい世界なんだ
Are also on the faces of people goin' by I see friends shaking hands, saying, "How do you do?" They're really saying, "I love you."
道行く人々の顔にまで映ってる 友たちが握手しながら、「こんにちは」って でもそれは、「アイラブユー」ってことだ
They'll learn much more than I'll ever know And I think to myself what a wonderful world Yes, I think to myself, what a wonderful world..
君達はは私なんかよりはるかに物識りになるんだ そして思う、なんて素晴らしい世界なんだ. いやぁ、本当だよ、なんて素晴らしい世界なんだ |
| 写真はすべて蟻様翻訳サービス提供 トップ:カナダコロンビア川を遡行する蟻様 真中:カリブ海ドミニカ国(共和国ではない)プリンスルーパートベイにかかる虹 下:1歳頃のEarly Summer(蟻様の娘)右は蟻様の母S姉 |