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芳言、青年宣教大会決起集会In高砂に行く

 以前、このミラクルズでも表明したが、僕は「自教会繁栄主義者」である。自分が集い、呼吸し、目の前に見える教会が繁栄すればいいし、満たされればいいと思っている。従って、例えば、日曜日に牧師が他教会の講師として招かれて行くよりも、この教会で語り、また、語らずとも回数の多い礼拝に顔を出すべきだ、と考えている。いくらビルを取得したとは言え、まだ成立して5年そこいら。人数の規模も70−80人くらいの教会の牧師がそうそう教会をあけていいものなんだろうか、優先順位としては他教会で語るよりも先になすべき事柄が有るのでは?とこう思っている。
 しかしながら、2月3日、日本キリスト教団高砂教会においてなされた青年宣教大会決起集会に参加して、こういった考えをいささか改める必要が有ることを感じた。
 高速のインターチェンジを出、大きな道をまっすぐ南下する。すると、遠くからでもそれとわかる建物が見えてくる。近隣には学校、病院、公共機関が隣接しており、地域の中心であることが伺える。住宅街の中にそびえ立つ会堂。夜の暗闇に赤く灯る十字架。尖塔には鐘が据え付けられ、時を刻む。ガラスの扉を開けると、左手に下駄箱があり、右手には事務所が見える。丁寧にもスリッパを出して頂き、奥へと進む−。
 決起集会の場所は多目的室。平素は2階の会堂で礼拝を持たれているそうである。
 部屋を覗く。左右5列ずつ。随分後ろまで椅子が並べられている。賛美の練習の声を聞きながら、内心思った。「椅子、多いんじゃあないの?」
 集会が始まる。
 調和のとれた楽器の音色、きっちりと揃った手拍子。老いも若きも若夫人も皆、楽しそうに賛美している。さすが歌手「花*花」と関わりのある教会。賛美を忘れて、聞いてしまった。
 メッセージがはじまる。周囲を見渡す。おそらく様子を撮影していたであろうビデオカメラの周囲まで椅子が並べられて、人が座っている。おおよそ80−90人以上はいるのだろうか、遅れてきた人も、そうでない人も、ゆったりと座っている。
 メッセージは創世記。子を得られないアブラムが神と語らい、子孫繁栄の約束を得、信じるという箇所からであった。詳細は、参加した者しか感じ取ることのできない味わいと、聞く者の感覚の違いが有ろうからここでは述べない。しかしながら、考えさせられたことは多かった。
 例えば、「日本全体の教会が、たかだか2、3年前よりも更に地盤沈下を起こしている」という危機感を抱いたこと。これは、奇しくもイザヤ牧師がメッセージを語られる前、高砂教会主任牧師の手束牧師が紹介の中で語っておられた日本の将来に対する不安−高齢化と若者の目から輝きが失せているという現実−と符合する。
 メッセージで曰く、日本における教会全体の高齢化、教団・教派を問わず若い牧師が育成されていない現実、牧師の死去に伴う世代交代の難しさ−。イザヤ牧師が語られた内容は深刻なものであった。この事柄は、超教派の会合に出、他の教会の現状をつぶさに見ていなければ、語れない。
 また、「他の教会においてメッセージを語ることは自教会の繁栄につながる」ということも感じた。これは、イザヤ牧師が語り終えられた後、メッセージの感想を手束牧師が語られる時間が有ったことによる。のっけから「吉本に行かれたら良かったのでは」と語られた時、本当に席からずり落ちそうになったが、この言葉の後に韓国屈指のエバンジェリスト申賢均師と比して、「キャラクターを生かしてがんばってください」といった激励を語ってくださった。僕は『途中で「アメーン!!」とか叫んで、「♪しゅっのしょうり〜〜」とか歌われたから、かなわんなあ』と思いつつも、手束牧師の期待の大きさを感じて本当に感謝した。と同時に、皆の前で、先達者が感想を述べ、励ましを与えるというのは、大切なことと同時に、イザヤ牧師もまた「学ぶべきことができる時間」が与えられたといえるのでは無いだろうか、とも思った。他教会で語ることにより、独りよがりになることなく、評していただくことができる。そこで「謙虚な姿勢」で学び、同時に必要な部分を得ることができ、それがまた自教会での日常のメッセージに生かされる。ならばそれも大切なことなのかなあ、と思ったりもした。
 にしても、イザヤ牧師がメッセージを語られている時、僕は後ろの席で思考回路はショート、心臓バクバク、席からずり落ちそうなほどだった。しかしながら、冷や汗を垂らしながら聞いていたのは一人僕だけだったようだった。というのも、すごく前向きに受け止めている様子が、会衆の反応から読みとれたのである。笑うところは笑う、静かに聴く箇所は耳を傾ける。「きついこと語るなあ」と思ったところでも、「アーメン」という反応が起こる。集う者一人一人の成熟の度合いを感じるとともに、高砂教会そのものの度量の大きさ、懐の深さを感じた。
 終了後、家に帰って高砂教会のホームページにある掲示板の書き込みをみると「過激ながらもおもしろかった」。との書き込みがあった。また、翌日には「みんな参加しよーぜ」という書き込みがなされており、本当に「ほっ」としたことだった。
  末文になりますが、日本基督教団高砂教会の手束牧師、井上副牧師、新谷副牧師、長老及びスタッフの方々、そして集ってくださった皆様に感謝いたします。教団・教派、そして信条を越えて「日本人の手によるリバイバル」を待ち望む姿勢を見ることができました。
 現実の不安・不満に流され、現状に押しつぶされている自分、「神の言葉を真実なもの」とする姿勢が欠如している自分を見る機会となりました。また、HPの掲示板を見て、伝統をふまえた上で新たなる伝統を創り出しうる可能性を持つ教会だなあと思わされました。地域のセントラル・チャーチとして更なる飛躍、願っております。
 最後に最後ですが、久々の「教会カレー」、美味しかったっす。

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