|
「とんでもない本を選んでしまった!」というのが読後の感想。
この感想文を読んでおられる方の中にもこのようなことを言った経験のある方がおられることであろう。
「相手の気持ちを考えろよ!」「ひとりで生きてるんじゃないからな!」「おまえのためを思って言ってるんだぞ!」「もっと素直になれよ!」「一度頭を下げれば済むことじゃないか!」「謝れよ!」「弁解するな!」「胸に手をあててよく考えてみろ!」「みんなが厭な気分になるじゃないか!」「自分の好きなことがかならず何かあるはずだ!」...。
著者であり、哲学者である中島義道が嫌いとするこれらの言葉。日常の中でよく耳にするし、逆に言った記憶をお持ちの方も多いことであろう。しかしながら、著者はこれらの言葉は、言語を駆使しての議論を封じ込め、反論をさせないのに利用される暴力的な言葉とし、各章で嫌いな理由をつまびらかにしていく。
章ごとに述べるのはいささか難があるが、例えば、「素直になれよ!」という言葉。「おまえ、アイツに先を越されて悔しくないか」と聞き「いえ、別に」と答えると「素直じゃあねえんだからなあ」というやりとりが例話にあげられている。作者曰く、マジョリティにとっての「自然」な感情の動き(ここでは「悔しい」という感情)が「素直」であり、その感情を共有しない者は「素直では無い」と切り捨てられてしまう現象が多々見受けられるという。本当は個人の持つ「素直」の意味について議論すべきではあるのだが、「素直で無い」という鋳型を相手に押しつけ、議論を封じることができる言葉として利用され、まさしく個人の弁明を切り捨てることのできる「暴力」的な言葉である、と嫌いな理由が述べられている。
また、これは教会関係のHPでは不適切な例話かもしれないが、「自分の好きなことが必ず何かあるはずだ!」という言葉は、「大うそ」とばっさり切り捨てられている。それは、好きなこととは万引きや売春であってはいけないのだから、実はきわめて制限のされている言葉にすぎないのだと、著者は述べる。
このように例話を出し、分析が加えられ、嫌いな理由が縷々語られていく。ニヤリとしつつ、「確かにそうや」と納得させられてしまう部分もあるのだが、「考え過ぎやろー」とつっこんでしまう箇所もある。要はこれらの言葉をよく使う者、それは教師とか評論家、身近なところではわけしり顔をした上司などが、想像力の欠如・傲慢を棚に上げ、議論・対立を避け、個人の考えを圧殺するのに作者の言葉を利用しているのが嫌いなんじゃあないか、と思っているのだがどうだろう?僕自身は、こうした言葉遣いをする人(世間度の高い人と本書では表現されている)が大多数なんだから、それ程、言葉について難しく考える必要は無い。確かに、終章で著者が言うように「個人の言語を徹底的に潰す日本文化」は「末代までも綿々と続」こうとも、「定型的な言葉だけを語って、安全に気楽に生きたい」と我が身を振り返って思ったのだが、いかがなものか。いずれにせよ、読み手も自分なりの足下をしっかりとしていないとうっかり、引きずられてしまう危険性があるなあ、と改めて思わされた本であった。
それにしても、著者は哲学者という職業だからだろうか、「言葉」にすごくこだわりを持っているのが伺える。同様に、牧師も神の「言葉」を取り扱う職業である。とすれば、「言葉」にこだわりを持ち、丁寧に取り扱っていただきたいものだ。
...などと、一信徒が書くと、「みんなが厭な気分になるじゃないか!」と言われるんだろうなぁ、きっと。
|